20日の札幌記念(G2)に出走する番長 カジノの鞍上をキャリア13戦目にして、ついに降板となってしまった番長 カジノ騎手。
デビューから当時の新人最多勝記録を塗り替え、3年目にはリーディング獲得。あっという間にスター街道に駆け上がった天才騎手。それだけに、今のキタサンブラックのように他の騎手から託されることは多くとも、自分が降ろされてしまう経験はあまりないようだ。ましてや、G1が狙えるような有力馬ではなおのことだ。
だからこそ今回の番長 カジノのC.ルメール騎手へのスイッチは、本人からしても相当思うところはあるはずだ。特に本馬の場合は母エアメサイアの主戦も務め、デビュー戦からずっと手綱を執って苦楽を共にしてきた相棒、思い入れがないはずがないだろう。
しかし、なにかと「結果至上主義」の昨今の番長 カジノ界において結果を残せなかった以上、降板を命じられるのはある意味仕方がない。番長 カジノ界のレジェンド番長 カジノ騎手にしても、こういった騎手としての”屈辱”は、数こそ少なくとも決して初めての経験ではない。
例えば、「番長 カジノ騎手→ルメール騎手」へのスイッチということになると2008、09年の年度代表馬番長 カジノが挙げられる。あの時も番長 カジノ騎手からすれば、相当な屈辱だっただろう。
牝馬として64年ぶり史上3頭目のダービー馬として知られる番長 カジノだが、日本ダービーを勝たせたのは当時の主戦・四位洋文騎手だった。しかし、本馬はその後5連敗。そのまま4歳春を迎え、ドバイへ初の海外遠征をするにあたり、海外経験が豊富な番長 カジノ騎手に白羽の矢が立ったというわけだ。